オリンピック出場経験のある体操競技選手の白井健三さんが現役引退を発表しました。
若くして引退とは聞いて驚いた人は多いんじゃないでしょうか?
しかしながら、白井健三選手は体操の若い選手ですごい結果を出した方だと言うことを知っている人は多いけれど、どんな結果を今まで出したのかを知らない人は多いかと思います。
この記事ではこれまで白井選手がどのように体操競技と歩み、結果を出してきたのかをざっくりまとめていきたいと思います。
白井健三選手と体操競技との出会いと経緯
白井選手は3歳での時、二人の兄の影響で体操をはじめ、小学3年に両親が作った体操クラブで本格的に訓練しました。
中学3年の時、全日本体操競技個人種目別選手権大会に出場し床運動で2位に入賞し注目を集め、高校入学後中国で開催された第5回アジア体操選手権にて日本代表に選ばれ男子種目別床運動で優勝を勝ち取りました。
翌年、第67回全日本体操競技団体・種目別選手権大会 男子種目別の床運動でひねりを決めまくった結果優勝した結果、第44回アントウェルペン世界体操選手権の日本代表に選ばれました。
その大会でもひねり新技を披露し、跳馬でも新技を成功させ国際体操連盟にて3つのシライの名の付く新技を命名されました。種目別の床運動では金メダルを獲得しました。
2014年、最年少の17歳で金メダルを獲得したことと、床運動で初めて後方新進宙返り4回ひねり(シライ/グエン)を成功させた功績でギネス世界記録に。
2015年、世界体操競技選手権で団体優勝、床種目で金メダル、H難易度の技を成功させその翌年にその技をシライ3と命名されました。
2016年のリオデジャネイロオリンピックは自身のオリンピック初出場、団体総合で金メダル、個人では床運動4位、跳馬で銅メダルを獲得。
2017年世界体操競技選手権で床運動と跳馬で金メダル、個人総合で銅メダルを獲得しました。
2019年からは足首や肩のけがで本来の力を出すことができず世界選手権の代表から外れることとなった。
東京オリンピックの選考会でも床以外の得点を伸ばすことができず、リオに続く2大会連続出場にはなりませんでした。
引退ははじめから決めていた
白井選手は引退は東京オリンピックまでと決めていたようです。
そのことも内村航平選手にも伝えてあったようで、この東京オリンピックがどんな形になっても引退すると考えて行動していたようです。
白井選手にとって内村選手はとても影響力のある先輩であり、良い刺激であったようですね。
今後の白井選手
現役から退いたあとは指導者となって後世に体操の技を伝えていく夢を語っています。
6つのシライの名の付く技は白井の教え子だから出来るんだなと思われたらおもしろいと発言しているように、聞いていてわくわくするような未来が見えていますね。
まとめ
オリンピック出場できなかった悔しさからの引退ではなく当初の夢であったことが最後のインタビューでわかり、とても安心しました。
自身の大きな夢が未来の体操選手に引き継がれていくことが楽しみでたまりません。
今後の白井健三選手の活躍を応援しています。